エピソード2. ミルグラムと「悪の凡庸さ」

残虐性や悪意がなくても、権威への服従は人の良心を沈黙させてしまうことがあります。ハンナ・アーレントは、そのメカニズムを「悪の凡庸さ」と名付けて分析しました。

リフレクション

このエピソードは、スタンレー・ミルグラムが行った「服従実験」から始まります。
ミルグラムの実験が示したのは、人が残酷な性格をもっているからではなく、権威ある人物から指示を受ける状況に置かれることで、ごく普通の人々が他者に危害を加えてしまうという事実でした。

重要なのは、被験者が善悪を判断できなくなったわけではないという点です。
実験の中で起きていたのは、「自分が判断する必要はない」「責任は指示を出した側にある」と考えるようになる変化でした。その結果、行為は自分の決断ではなく、「求められた作業」として受け取られるようになります。

続いてエピソードは、フィリップ・ジンバルドのスタンフォード監獄実験、そして「第三の波」へと進みます。
ここでは、人々は命令に従うだけでなく、与えられた役割を自分のものとして受け入れ、集団の期待に沿って行動するようになります。行動の基準は個人の判断ではなく、「役割にふさわしいかどうか」「集団に合っているかどうか」へと移っていきます。

これらをまとめて見ると、次の流れがはっきりします。
1) 権威の指示に従う、2)自分は責任を負っていないと考える、3)役割や集団の規範に沿って行動する。
この過程には、憎しみや加虐性は必要ありません。必要なのは、「自分で考え、判断し、引き受けることをやめてしまう」ことだけです。

だからこそ、これらの事例は、ハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸さ」と重なります。アーレントは、悪は、必ずしも特別な悪意、憎しみや、怪物のような人間によってもたらされるのではなく、ごく普通の人々が「自分はただ役割を果たしているだけだ」と考え、「判断と責任を手放したとき」、つまり「考えること」をやめた時に生まれることを示しました。

ここで問われているのは、人がなぜ残酷になるのかではなく、「自分で考えなくてもよい状態」が、いかに容易に道徳的責任感を失わせるのかという点です。

考えるための問い

  • 指示やルールに従ったあと、「あの時、こばんでいればよかった」と今でも思い返す出来事はありますか?その時、あなたは何を恐れて黙っていたのだと思いますか?

  • 皆が当然のように続けていた行為に加わり、あとから誰かを傷つけていたと気づいた経験はありますか?その時、あなたは自分にどう言い訳をしていましたか?

  • 「自分が止めても変わらない」と考えて見過ごした判断の中で、今になって「本当は止めるべきだった」と感じていることはありませんか?なぜ、その時、立ち止まれなかったのだと思いますか?

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