エピソード13 — ウィトゲンシュタインの影

言語は鏡か、それとも営みか。

初期AIは、「言語は論理的に表現できる」という前提から出発しました。
この発想は、ウィトゲンシュタインの前期――言語は世界を写す論理的構造だという見方――と響き合います。

しかしウィトゲンシュタインは後に立場を転換します。
意味は定義や形式でとらえつくされるものではなく、その使用(用法)の中で立ち上がる、と。

この転換は、AIの歴史とも重なります。
ルール中心の初期AIから、実際の言語使用のパターンに基づく生成AIへ。
エピソード13では、この対応関係を手がかりに「意味とは何か」を改めて考えます。

リフレクション

前期ウィトゲンシュタイン —— 構造としての言語

前期ウィトゲンシュタイン(『論理哲学論考』)では、言語は世界の出来事を写す「論理的な図式(鏡)」のようなものだと考えられました。

つまり、言葉は世界の事実と対応することで意味をもつ。意味は、言葉と世界との「対応関係(構造)」によって支えられている、という見方です。

この見方では、言語は形式的に整理できるものになります。
初期AIは、言葉をルール記号に落とし込めば、機械にも言語が扱えるはずだと考えました。

  • 言語はルールで記述できる

  • 意味は記号の関係として表せる

  • 推論は形式的操作として扱える

こうして生まれたのが、初期のAI――ルールベース/記号処理型AIです。

しかし、言語を固定された構造として扱うだけでは、文脈や実践の中で揺れ動く多義的な意味を十分に捉えることはできませんでした。

後期ウィトゲンシュタイン —— 使用としての言語

後期ウィトゲンシュタイン(『哲学探究』)は、視点を大きく転換します。

  • 意味は定義の中にあるのではなく、「使われ方(用法)」にある。

  • 言葉は単一の体系ではなく、生活の中に散らばるさまざまな「言語ゲーム」として機能する。

  • 同じ言葉でも、場面・関係・目的によって働き方が変わり、文脈が意味を決める。

この見方からすると、ルール中心のAIが言語でつまずいた理由が見えてきます。
機械はルールに従うことは得意です。
しかし、言語の柔軟さや、状況によって変わる意味の動きを、ルールだけで十分に捉えることはできません。

そこで、生成AIは言語に対して異なるアプローチをとりました。

生成AI —— 使用のパターンを学ぶ

現代の生成AIは、意味をあらかじめルールとしてとらえるやり方で、設計されてはいません。
その代わりに、膨大なテキストを学習し、「どの言葉が、どのような状況で、どのように使われているか」という使用のパターンを捉えようとします。

つまり、意味を定義からとらえるのではなく、実際の言語使用の傾向から推測するのです。

  • 本質を定義から引き出すのではなく

  • 使用の傾向から推測する

この点で、生成AIは後期ウィトゲンシュタインの言語観と響き合う方向を向いています。

しかし、AIと人間には、決定的な違いがあります。
生成AIは、言葉の用法のパターンを再現することはできます。
しかし、その言語ゲームを支えている生活そのものに参加しているわけではありません。

人間は、他者と関わり、迷い、責任を引き受けながら言葉を使います。
AIは、言語のパターンを計算しているにとどまります。

そこで、こうした問いが残ります。

言語を「使える」ことと、「わかっている」ことは同じなのでしょうか。
もし違うとすれば、その違いはどこにあるのでしょうか。

考えるための問い

  1. 言語は、世界を正確に写す「構造」なのでしょうか。

    それとも、私たちが生活の中で使いながら形づくっている「営み」なのでしょうか。

  2. 同じ言葉が、場面によって違う意味をもつことがあります。
    私たちはその違いを、どうやって理解しているのでしょうか。

  3. 文法的に正しい文を作れることと、 相手に届く言葉を使えるこは、どこが違うのでしょうか。

  4. 生成AIは、言葉の「使われ方」のパターンを学んでいます。
    それによって何が可能になり、何がなお困難な課題として残るでしょうか。

  5. もし意味が人と人との実践の中で生まれるとしたら、
    AIはその実践に本当に「参加」していると言えるのでしょうか。